- 2015年7月5日
三部けい「僕だけがいない街 6」上質のミステリとタイムリープ
また恐ろしい巻末のヒキやな…… 以前に取り上げた漫画をもう一度取り上げます。三部けいさんの「僕だけがいない街」、マンガ……
九条にある24席・デジタル上映のミニシアター「シネ・ヌーヴォX」へ。
本日、上映最終日の映画「クロノス・ジョウンターの伝説」を見てきました。
人気声優・下野紘さんの初主演作品として、話題になっています。
原作は「黄泉がえり」やエマノンシリーズで有名な梶尾真治さんの連作小説「クロノス・ジョウンターの伝説」の「吹原和彦の軌跡」で、先日活動休止を発表した演劇集団キャラメルボックスで舞台化もされている名作です。
住島重工の開発部門・Pフレックに勤めている吹原和彦(下野紘)は通勤時に通りかかる 花屋で働く蕗来美子(井桁弘恵)に想いを寄せていた。
一方、会社では、時間軸圧縮理論を採用し物質を過去に送ることの出来る放出機『クロノス・ジョウンター』の開発に成功した。
そん なある日、突然の事故で、来美子を失ってしまう。クロノス・ジョウンターに乗り込み、来美子を救う為過去に戻る和彦だったが、クロノス・ジョウンターには
重大な欠点がある事が隠されていた…
物語は2058年、科幻博物館に忍び込んだ男を警備員が捕まえ、館長に引き合わせることから始まります。
吹原と名乗った男は、博物館に置かれている遺物・クロノス・ジョウンターを使わせて欲しいと言います。
館長は、吹原に「なぜ?」と問い、吹原はためらいつつも話し始めます。63年前、1995年に起こった事件のことを。
映画「クロノス・ジョウンターの伝説」は、突然の事故で失ってしまった女性を不完全なタイムマシン「クロノス・ジョウンター」で救い出そうとする物語。
花屋さんに勤める蕗来美子(井桁弘恵さん)にほのかに思いを寄せ、なんとかして事故を回避しようと必死に走り続ける吹原和彦(下野紘さん)。
不器用で、まっすぐな思いだけで突っ走る吹原のイメージどおりの演技に、ついついのめり込んでしまうのは原作や舞台版と変わらず。蕗さんの美しさも、吹原の言葉を信じつつも「待つ」という残酷さも、吹原が2058年から跳んだあとのシーンで全て昇華されていきます。
原作や舞台ではできない映像表現も見もの。
下から上に上がっていく砂時計(厳密には砂時計ではない)や、時計の動きなど時の流れの表現は特に素敵です。
個人的には、もう一つの主役といっていいクロノス・ジョウンターの造形をもう少し頑張って欲しかったなぁ……
原作で「黒光りする巨大な砲台。そして砲台の代わりに大昔の蒸気機関車が搭載されているような印象を受ける」と書かれているちょっと大げさな機械を再現して欲しかったけど、実際にタイムマシンとして作るなら、映画のような機械で十分なんだけど。
舞台版のクロノス・ジョウンターの造形がめっちゃ好きなんで、そこは残念。
大阪での上映は終わってしまいましたが、福岡、名古屋ではまだ見る機会がある模様。
もう少しだけ、上映館や機会が増えたらいいな。
ものすごく好きな物語なので。
映画「クロノス・ジョウンターの伝説」現段階での今後の上映です🎥
引き続き応援宜しくお願いします大阪シネ・ヌーヴォX 絶賛上映中
福岡アジア映画祭 7/6、7/7 上映
名古屋シネマスコー 7/13〜19 再上映#クロノスジョウンターの伝説▶️https://t.co/PV9ePT2605 pic.twitter.com/nG5yYu3VXB
— 映画「クロノス・ジョウンターの伝説」公式 主演 下野紘 ㊗️全国順次公開中🎥 (@2019SF1) 2019年6月15日
物語の一部「ネタバレ」を書くので、原作未読・映画未視聴は要注意
原作小説の「吹原和彦の軌跡」では、物語は吹原がクロノス・ジョウンターで過去に遡るのを科幻博物館の館長が見守り、そして、事故の象徴であった「蛙のブローチ」が復元され、吹原がその代償を負うことを示唆して終わります。
舞台版では、吹原が来美子を救い出し、来美子を見つめるのがラストシーンです。
当然、その後、吹原はクロノス・ジョウンターを使用した代償を負うことになるので、その顔は救い出した達成感や安堵とともに哀しみがどこかに写るものになります。
この映画版はそのどちらでもなく、直接的に来美子が救われるシーンや吹原の姿はそこでは描かれず、来美子がP・フレックを訪れるシーンから、その後が台詞もなく紡がれ、クロノス・ジョウンターに来美子が……というシーンにつながります。
映画版のラストシーン、これも本当にすごく素敵です。
小説には小説の、舞台には舞台の、映画には映画の、それぞれのラストシーンがあるのが本当にいいなぁと思うんですが、吹原の物語には実は4つめのエンディングがあると私は思っています。
クロノス・ジョウンターを巡る物語で「鈴谷樹里の軌跡」(舞台版では「ミス・ダンデライオン」)を見たときに、このエンディングを思いついて一人で興奮していたのですが、どうも舞台版の脚本を書かれた成井豊さんは当然、そのことに気づいていて、ちゃんとそれを物語に忍ばせているようなのです。
再演時の「吹原和彦の軌跡」(舞台版では「クロノス」)では、それを示唆するような台詞があって感動したんですが、
[sitecard subtitle=関連記事 url=https://utatane.asia/blog/2015/2693/]
吹原は科幻博物館から63年前に遡って来美子を救う、すると時の流れを遡った代償を負う……のではなく、その場で消えてしまうんじゃないか、というエンディングです。
タイムパラドックスですね。
来美子が助かる→吹原がクロノス・ジョウンターに乗るという未来が無くなる→未来からやってくる吹原は「いない」ので消えてしまう。
そうすると、事故を知って吹原が花屋を目指して走り込んでくると、助かった来美子に会えることになります。吹原は「来美子を助けた吹原」は知らず、来美子は「時間を遡ってやってくる吹原助けられた」状態です。
来美子を心配して走ってきた吹原を見て、来美子はどう思うのか、そして二人はその後どうなっていくのか……。
これが正解とかではないのですが、こんなことも考えてしまうくらい「クロノス・ジョウンターの伝説」、いい話なんですよ。
映画も小説も(舞台も)、機会があればぜひ読んで(見て)欲しいなぁ。
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