ちょっと……かなり昔の話「Postal☆Tale」とワタシ

ちょっと……かなり昔の話「Postal☆Tale」とワタシ

つい先日、私の実家に私あての手紙が届きました。
ちょっと変わった名前の方から届いた手紙は、母親から私の手に。高校2年生の時に祖母宅に居候したので、実家の住所で郵便が届くことはあり得ないと思っていたのですが、その変わった名前を見た瞬間、25年くらい前の思い出がすぐによみがえってきました。

「ネットゲーム’88」

1988年に(有)遊演体(当時)という会社が運営していたゲームがありました。
ネットゲームと言っても、当時はインターネットどころかファクシミリですらまだ十分に普及しているとはいえない時代。そんな時代のゲームは、郵便を媒体にしたPBM(Play by Mail)という手法でした。

当時、高校生だった私。少ない小遣いの中から、月1,000円(だったかな……なんかググると一括で10,000円だったような記事も見つけたけど覚えてない……)支払ってゲームに参加。その月の行動を葉書で送ると、次の月にその行動結果とその世界で起きていることを記した仮想の雑誌「朝朝ジャーナル」が届いて、また次の月の行動を葉書で送って……という今では考えられない牧歌的な時代のゲームでした。

ネットゲーム'88のリプライの一部
ネットゲーム’88のリプライの一部

クトゥルー神話や日本神話が題材になったゲームは、プレイヤーが単独で参加していてもなかなかゲームを楽しむことができません。
情報の交換や、情報をまとめた同人誌が発行されたり、情報交換や交流を目的にしたいわゆる「オフ会」のようなものも開催されたりもしたんですが。
あぁ、「大百会(大阪百鬼夜行の会)」。そうそう、そんな名前だった。

そんな同人誌の中で有名だったのが、現在もSF作家として活躍されている野尻抱介さんの発行されていた「野尻ジャーナル」をはじめとする東海地方で活動する3誌。
ネットゲーム’88が終了して、すでにPBMの魅力にはまってしまっていたプレイヤーは、野尻さんらが自身で続けられたPBM専門の同人誌「Postal☆Tale」に続けて参加するのでした。

Postal☆Tale他

そんな「Postal☆Tale」の編集を担当していた方が亡くなり、当時の原稿が発掘されたため私にも「当時の原稿を返そうにも、ペンネームなどが分からないので教えてほしい」というのが実家に届いたお手紙の内容。
私自身は読者、プレイヤーとして「Postal☆Tale」に参加していたので原稿はないはずとは思ったものの、遊演体が1991年に行った「ネットゲーム91 那由他の果てに」にアルバイトでマスターとして参加したり、自身も同人誌を作ったりしたのでとりあえずお返事。
やはり原稿などはなかったものの「Postal☆Tale MEMORIAL」を始め、総括本を送って頂きました。総括本の編集の「ま・なせ」さんをはじめ関係者の皆さまありがとうございます。

Postal☆Tale

うわぁ、懐かしいわ。これ。
特にこの初期のしのらさとしさんのイラストはものすごく覚えています。
結婚した時に祖母宅にこういう冊子類は残してきたので、祖母宅の2階を掘れば見つかるかも……

読んでいて、色んなことを思い出します。
考えてみれば、このブログの「Utatane.asia」も、元々、ネットゲーム’88に参加していた時のプレイヤー名が一二三四郎(うたたねしろう)。確かこれは家で母親が読んでいた和久峻三の赤かぶ検事奮闘記に出てきた端役の警察官の名前だったかな。それでPBMも含めた同人誌「うたたね通信」を作って、インターネットが普及してホームページを作って、その後に「通信」なら「.net」でしょとUtatane.netのドメインを取りに行くも取れずにUtatane.asiaのドメインを取ったという。

「Postal☆Tale」の購読者はほぼ250人で推移していたとのこと。楽しかったなぁ、PBM。
今はネットワーク対戦なんかは当たり前で、ゲーム中のチャットでリアルタイム会話できる訳で、この頃の行動を手紙に書いて、その結果は1か月後に返信されたり、同人誌上で小説などになるというPBMの形態はまどろっこしすぎるかもしれませんが、なんとなく魅力に感じるのはあの頃を知るおっさんだからですかねぇ。

GW中にゆったりと読み返してみようと思います。楽しみ。

私がこの記事を書いたよ!

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があ

大阪生まれ・育ち・勤めの雑食系公務員。 福祉職だと勘違いしている人が大多数ですが下っ端事務職。濃い顔付きから沖縄人やらトルコ人やら間違える人大多数。違う、違うんだよ~

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