アニメ版「僕街」があまりにも良すぎて!

アニメ版「僕だけがいない街」の最終話、録画していたのを先ほど見ました。
原作ではまって、このブログでも2回取り上げている(「タイムトラベルな日々:三部けい「僕だけがいない街」」「三部けい「僕だけがいない街 6」上質のミステリとタイムリープ」)んですが、アニメ版の最終話があまりにも良すぎて! つい、なんか書きたくなっちゃいました。

原作の連載は既に完結しているのですが、コミックスの最終巻8巻は5月に発売されるので、実は私は原作のラストは未確認
アニメ版の最終話を先に見てしまうという困った事態を知ったあたりで、先に原作のラストを見てからにするかどうか悩んでいたんですが……第11話のラストで口があんぐりと開いてしまって、最終話を見る勇気が出たのでした。

で、アニメ版の何が「あまりにも良すぎて!」なのかというと、起承転結、物語の緩急がものすごく丁寧に作られていたこと。

原作は全8巻の物語、ところが、アニメ版第1話であっという間に第1巻を消化。
おいおい、なんか余計な付け足しとか改編してボロボロにするんやないやろうな、と心配していたら過去に遡った途端ペースダウン。原作のストーリーを丁寧に描いて第10話の時点で原作の第6巻の冒頭にしか至っていない。
おいおい、あと2話でほぼ3巻分って大丈夫かよ、と心配も最大ゲージを振り切ったところの第11話。

この第11話が凄かった。

オープニング曲の映像から「僕(悟)だけがいない」映像に変えられており、ここまで本当にほぼ忠実に原作のストーリーを描いていたのに、流れががらっと変わってしまってラストシーンは犯人との直接対決に。ちょっと待って、何これ。しかも原作の各巻ごとのラストと同じくらいの最終話への強烈なヒキ。

完全にやられました。

漫画や小説、いわゆる原作物が成功するかしないかは結局のところ「原作を忠実に再現するか、しないか?」ではなくて、「原作の大事なところをどれだけ掴んで、それぞれのメディアの特性を活かしてどこをどう表現するか?」なんだなぁと改めて思いました。

この作品だと例えばこんなところ(「僕だけがいない街」のサブタイトルに感じていた違和感の正体はこれだったのか…!→視聴者「凝りすぎだろ!」)が「大事なところ」と思えるかどうかっていうのは結構大事だったりするんじゃないかと思うわけです。

ちなみにこのフォントの話ですが、ちゃんと最終話の第12話では全てゴシック体で表現されています。

そして、第11話で原作とは違う展開に変えた結果、原作では重要な役割を持っていた女性キャラクターが登場しないことになってしまったんですが、最終話でその女性を歴史の改編の中で矛盾点なく綺麗に描いたラストシーンが秀逸すぎて、見終わってすぐもう一回見返してしまいました。
で、先ほどから原作を読み返し中。

映画版も見に行こうかなぁ……しかしなぜ予告動画に「バカなの?」を入れない(力説)!?

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