- 2016年5月1日
天王寺広報紙5月号「天王寺動物園に行ってみませんか?」
天王寺区の広報紙5月号が大阪市のデジタルブックでも公開されました。 担当になって初めての広報紙です。 今回の表紙と2面の……
昨日、私のツイッターTLは次長課長・河本氏の母親が生活保護を受給していた件についてのツイートがかなり大量に流れていました。
以前、生活保護ケースワーカー(CW)として従事していて、CW向けのホームページを運営していた関係もあって、私も知己の記者から「どう思う? コメント欲しいねんけど」と連絡があったのですが、既に生活保護の現場を離れて5年になり(なんたって、自費で買った生活保護手帳も写真の通り2008年版が最後やし)、”関係者は”とか”CWは”などとコメントを使用されて、現役のCWや関係者(特に同僚に)ご迷惑をおかけしてはいけないと思いお断りさせていただきました。
ですが、気になって色々とニュースサイトや個人のブログ、ツイートを読んでみたのですが、どうにも”しっくりこない”感じがするので、情報の整理が必要と思い元CWの雑記として残すことにしました。
今回の河本氏の問題、ニュース記事やツイッターでの様々な方の発言を読んでみると、「売れっ子芸能人の河本氏の母親が生活保護を受けていたのは問題ではないか? 河本氏が扶養すべきじゃないか?」という意見と、「子どもが親を扶養せなあかんということになれば、今でも生活保護が受けられない人がいるのに、さらに保護が受けられない人が増えるじゃないか。」という意見が対立していたように思えます。
どちらの意見も一理あるように聞こえるかと思います。
なので、ちょっと事実関係を整理してみましょう。
昨日の記者会見はYouTubeなどにもアップされていたりしますが、私が把握している限りでは、
と、いった内容です。この内容が全て事実だという前提での話になります。
まず、事の是非を話す前に保護の適用、扶養援助について生活保護法ではどのように記しているかを確認しましょう。
できれば、今回の件で河本氏を擁護したり、非難している人には生活保護法の全文を読んでほしいのですが、時間もないことでしょうし抜粋を。
(この法律の目的)
第一条 この法律は、日本国憲法第二十五条 に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする。
(保護の補足性)
第四条 保護は、生活に困窮する者が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することを要件として行われる。
2 民法 (明治二十九年法律第八十九号)に定める扶養義務者の扶養及び他の法律に定める扶助は、すべてこの法律による保護に優先して行われるものとする。
3 前二項の規定は、急迫した事由がある場合に、必要な保護を行うことを妨げるものではない。
(この法律の解釈及び運用)
第五条 前四条に規定するところは、この法律の基本原理であつて、この法律の解釈及び運用は、すべてこの原理に基いてされなければならない。
ちなみに、第1条にかかげられている日本国憲法第25条は、
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
です。
また、生活保護法による保護の実施要領について(PDF・H23.7.19改正版)では、扶養援助について「第5 扶養援助について」(P9~)に記しています。かなり長いので、内容はリンク先を読んで頂きたいのですが、そこで書かれていることで、今回の事案に関連しそうなことは次のとおりです。
条文と実施要領を見ていただいて分かるかと思うのですが、意外と(公的な制度にしては)丁寧に基準が書かれています。
ツイッター上では「なんで別居している親の扶養をせなあかんねん」というツイートもありましたが、それはちょっと違うじゃないかなと思っています。「扶養はせなあかんけど、自身が出来る範囲でやったうえで、それでも駄目なら生活保護」という風に私は考えます。
さて、これを踏まえて河本氏の事例を私は次のように考えます。
ちなみに本筋から離れるので、指摘だけにとどめますが、河本氏が”正しく受給していた”5~6年前からの保護費について返還することがおかしいという意見がありましたが、河本氏が資力があり母親に援助するという気持ちがあるならば、その資力発生時点からの保護費返還は不自然ではないと思います。
ただ、「売れるようになった5~6年前まで返還する」というのは単に保護の決定書類の保存年限が5年なだけで、それ以前の保護費額が分からないだけでしょう。一般的に過去の保護費返還を求める場合でも5年が限度ですし。
ツイートでも呟きましたが、
CWを一年やると、月1万円の扶養援助する受給者の家族は”神”の様に思える。…民間会社に勤める弟や母親には全く理解してもらえなかったけど。
— 山中正則(があ)@大阪さん (@gar_osaka) 5月 25, 2012
保護を受けてはる方の親族って、本当に扶養援助をしません。寧ろ、福祉事務所から連絡があると「こんな奴は縁を切った」と怒ってくる方の方が多く、家族関係というのは難しいものだと感じさせられます。そして、そういう対応を繰り返す度にCWはすり減っていき、本当に月1万円でも扶養援助してくださる親族を見つけたときは、もの凄く親切な家族を見つけたような気持ちになってしまいます……親や弟に話したら、もの凄く一般的な感覚とずれていることを指摘されましたが。
こういった断絶した家族関係の中での扶養について、「それでも扶養すべき」とするのか、「生活保護で面倒をみるべき」とするのかは議論が分かれることだと思います。
私自身は現在の法の趣旨からすると若干前者に近い考えですが、
今回の河本氏の一件で生活保護自体に色々な意見があるようやけど、なんで生活保護だけで話そうとするの? しつこいくらいに言うけど、生活保護は”最後の”セーフティネットであって、社会保障の全てやないよ。
— 山中正則(があ)@大阪さん (@gar_osaka) 5月 25, 2012
生活保護の善し悪しや、生活保護の捕捉率などを今でも生活保護を適用されている人が少ないやら、今回の件で保護が受けられないようになるだとか、生活保護水準の切り下げを検討とかいうのはどうにもピントが外れているように感じるのです。
どうしてもトピックスになりやすい生活保護制度だけが取り上げられがちですが、本来は年金であったり、雇用であったり、他の社会保障制度があってこその”最後の”セーフティネットとしての生活保護はどうあるべきかと議論すべきところ、どうにも、”最初の・唯一の”セーフティネットのように位置づけられているようでもの凄く違和感を感じた今回の事案でした。