佐木隆臣「君のことを想う私の、わたしを愛するきみ。」人を思う距離はどこにあるのか

[引用:]

人の命は有限で、過ぎ去った過去は遡ることができない。
そんなあたりまえのことをつい人は忘れたふりをします。

時と人の思いを描いた小説は数多く発表されています。物語の中で、遡れない時、人の死と人を思うことに直面する登場人物の心の揺れを感じる事で、読者は自身にとっての「時」を考えるのかも知れません。

本の応援団「NetGalley」で8月に出版されたSF小説を読ませていただきました。佐木隆臣著「君のことを想う私の、わたしを愛するきみ。」、物語は現在の2017年から遙かに離れた2114年の日本の物語です。

人を失ったとき、人を愛せるか

人が愛するのは肉体なのか。それとも、魂、心、精神なのか。
魂のみが死滅してしまう奇病、「ルドング病」が流行する2114年の日本。
その唯一の治療法は、過去に死んだ人間の精神を代わりに肉体に入れるというものだった。
2017年、28歳の若さでこの世を去った井上綾乃(いのうえあやの)は、30歳の「小笠原霧恵」という女性の肉体に精神を宿し、2114年の日本で再び目覚める。

しかし綾乃は、既に自分が愛した夫と娘がいない世界のなかで、見ず知らずの「霧恵」の旦那である秀(しゅう)と、娘の梢(こずえ)と共に家族として生きていくことを迫られる・・・・・・。

2017年の東京で震災に遭い、生まれて2か月の娘を残したまま彩乃は命を落とします。そして、彼女の視点からすると、その瞬間に100年近く未来の日本で、他人(ひ孫になるんですが)の体に精神を移すことになります。目の前には見ず知らずの夫と生まれて3ヶ月になる赤ん坊。困惑せずにいろというのが無理な状況です。

自身に覚えのない未来に飛んでしまう物語というと、北村薫さんの「スキップ」を思い出しますが、彩乃は自分ではない霧惠の体に移ってしまうだけに、なおさら過酷な状況で、物語の前半は自身の妻「霧惠」を失った秀とのやり取りがヒリヒリとするぐらいの痛みを伴って感じられます

夫と子どもを残して死んでしまい遙か過去の世界と離れてしまった綾乃、妻の魂を「ルドング病」で失った秀の二人は、少しずつその喪失感を理解して、じれるほどの歩みで距離を縮めていくのですが、それぞれの葛藤を丁寧に描いており、読みながら自分なら彩乃にどう声を掛けられるんだろうかと真剣に悩みました

物語の核は、人を愛することというのはその見た目(肉体)なのか、心や魂なのかということですが、最後に仕掛けられた物語、秀と彩乃の関係性を「運命」のように持っていってしまうのは少しもったいないかなぁと思ってしまいました。彩乃が目覚める瞬間の表現など伏線は引いてあるのですが、そこに持っていくならもう少し最後に畳みかけるような迫力が欲しい……伏線が足りないと思います。

人を好きになること、妻や子どもを大切に思う気持ち、命と時、色々と考えさせられる素敵なSF小説でした。