なんだかブログやTwitter、Facebookを見ていたら、お友だちの公務員が色々と「今年のまとめ」を書いていました。
みんな真面目なんだからぁ
と思ったのですが、よくよく考えてみると、帰省できなかったり、普段の年末年始らしい活動ができないこともあったりで、今年を振り返る人が増えているのかもしれません。
コロナで私の仕事はしんどくはならなかった
「があさん、コロナで大変でしょう?」
同業者以外の人と会うたびに、こう声を掛けていただいていたんですが、正直な所、「しんどくてたまらん」と思うようなことは幸いにしてありませんでした。
もちろん、何も聞かされないまま雨合羽の寄付に来てくださった区民の方への対応があったり、コロナ禍で色々と制限のある中、予算編成の事務と並行して住民投票や国勢調査の事務が降りかかってきたり、住民投票の投開票日の数日前に私と一緒に投票所を運営する予定だった庶務主任が発熱しコロナの可能性もあって自宅待機を命じられ彼がやってくれていた調整各種を突然やらざるを得なくなったりイレギュラーな対応はまあまああったわけですが…
それよりも、かつて所属していた健康局(保健所などの所管)職員の激務や、政治家の思惑に翻弄され続ける部署を気の毒に思っていました。
ウチの職場でも保健師さんはもちろん、あらゆるイベントが中止になって延々と区民センターの使用料の返還決裁を処理している職員、居宅訪問ができず増える相談に対応している生活保護のケースワーカー、乳幼児検診や予防接種などいつも以上に衛生対策が必要になっている保健福祉課の職員……誰も彼もが私よりも大変でした。
仕事外で以前から接していた飲食関係や医療関係の方がもっともっと大変だったわけです。
個人的には、生活保護のケースワーカーをやっていた時に極限まで精神的に追い詰められているので、それ以上に仕事でしんどいことなどあってたまるかと思って日々の仕事に打ち込んでいました。
コロナ禍で変わったのは、変えることと続けることの決意
地方公務員の仕事は1月スタートよりも4月の新年度スタートという意識があります。
3月末に外出自粛が出される前日、仲間内で居酒屋さんに行ったのですが、あの日を境に「居酒屋で、気の合う仲間とワイワイと騒いで飲む」という楽しさを味わう機会は奪われてしまいました。
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と、同時にあの外出自粛期間を機に、私自身は4月からの仕事のやり方をガラッと変える覚悟ができました。
今年は7月に九州で豪雨災害がありましたが、コロナ禍で各地からの応援が限られてしまうようなことがありました。
特にそういった事態を予測していたわけではありませんが、防災担当は3蜜を避けながら今まで以上に災害に備えることが必要になりました。
緊急事態宣言で在宅勤務などが始まると同時に、私は年度の目標を「防災啓発動画を10本作る」ということに変更。小学校や中学校での防災授業、地域での防災啓発の機会が激減することに備えました。
なんとか12月までに10本の動画を作成。10本目の動画は中学校で防災授業に使っていただきました。
当初、動画の知識はほとんどありませんでしたが、既に動画を作成している他の自治体の事例を見ながら作り、来月は他の職員向けに「動画の作り方」をレクチャーしようと思っています。
動画の作成にあたって、今までは(仕事で)自身の顔を出すことは嫌やなと思っていたんですが、そんな小さな躊躇いよりも、何をした方がええのかを考えるようになりました。
職員向けの防災訓練・研修は、1回あたりの参加人数を抑えて複数回開催することで全てやりました。ほんの少しでも、ウチの職員の災害対応スキルがレベルアップできればという気持ちでしたが、全ての研修にゲーム的な要素を入れて、発災時の状況をシミュレートしてもらうことで、ある課の課長から「今までやった研修の中で一番意味があったわ」と言ってもらえたことが一番の励みになりました。
役所の仕事は、旧態依然、前例踏襲などと言われることもありますが、コロナ禍で感じたのはその「続けること」と、それを「変えること」それぞれの大切さでした。
防災担当に限らず、コロナ禍でも「続けなきゃいけない」仕事があって、「変えなきゃできない」仕事がある。
「変える」ことは大事だけれど、根っこの部分が何で、「続けなきゃいけない」ことは何なのか、ほんの少しだけ掴んだような気がする一年でした。
……真面目かっ!
書いていてうまく言語化できていないこともあるんですが、本業のまとめはここまで。
防災啓発動画の作成は1月からも続けるつもり。今年は本業以外でも感じることが多かったので、大晦日の明日……もう今日か……はそちらもまとめたいと思います。
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