2004年に第57回日本推理作家協会賞短編部門を受賞した「死神の精度」の続編。
名字に町や市の名前がついた美男、美女で、やたらと音楽に興味を持っていて、話すとなんだかずれている……そんな人を見つけたら、その人は死神かもしれません。
死神は調査部から指示された人物の前に現れ、1週間の調査の後に対象者の死について「可」か「見送り」かの判断をします。
もちろん、死神ですからそのほとんどは「可」となり、調査と言ってもおざなりに接触するだけというのが多いのですが、「千葉」は仕事を非常に大切に思っています。
その死神の千葉に次の調査対象とされたのは、小説家の山野辺遼。娘を殺され、しかもその相手は25人に1人と言われる「良心を持たない」サイコパス。
裁判で「無罪」判決が出て、その男が自由の身を手に入れたその夜に「千葉」は山野辺宅を訪れます。
前作「死神の精度」は短編連作という形でしたが、今作は長編作品。
短編作品でもそうでしたが、人の死というものに対して非常にドライな視点で描かれています。いや、なんたって千葉は死神なんですから、死を超越しているのは当然なんですが。
今作では、人が苦しむことに何の感慨も持たずゲーム感覚で楽しむ男に対して、幼い娘を殺され自分たちの手で復讐することを決意した夫婦という重い題材。
「人はいつか死ぬ」という恐ろしさと、だけれでも「怖くない」というなんとも矛盾した人が持つ思いを、死神を通じて描くというなんとも不思議な感慨を得る作品です。
復習を実行しようとする夫婦に、7日後の死を決定する死神とのやりとりを1日1日描いていく形式で、読む手が止められず一気読み。
殺人を犯した男の7日間、復習を実行する夫婦の7日間、そしてエピローグで描かれるその後の一幕。
うーん、見事な作品だよなぁ。
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