飲食店は2年以内に50%が、10年以内に90%が閉店すると言われています。
それを考えると頑張ったんだということなんだろうと思います。
大阪市北区で父母が経営していた「大衆食堂 淀」が閉店しました。
私が報告するのは少し違う気もするのですが、父母も兄弟もこういった情報発信には後ろ向きなうえ、父の入院後「休業」としたまま「閉店」することになったので、なんらかの形でお客様にお伝えしたいと思ったので記事を書かせていただきます。
祖父母が「越中屋」という屋号でこの地で開業してから70年以上、多くのお客様にお世話になりました。
本当にありがとうございました。
お店にお越しいただいた全てのお客様に、療養中の父に代わりお礼申し上げます。
最終的な食べログの点数は3.11。まぁ、そんなものか。
親父もオカンも商売っ気がないというか、テレビからの取材はほとんど受けず、淀川の花火に合わせて飲み物の一つでも販売すればいいのに逆に休みにしてしまう。著名人がやってきてもサインをもらうこともなく、初めてのお客さんで気が向いたら変わったおかずをおまけに出してみたり。
なんというか息子の目からも見ても、クセのあるお店でした。
漫画喫茶が流行る前から祖父や父の趣味で、壁一面に様々な漫画を並べていました。
子どもの頃に手伝いに行くと、お客さんが途切れた時に漫画を読みふけってしょっちゅう怒られていました。こち亀や三国志、エリア88、庖丁人味平、あぶさんにキャプテン……山ほど読んだ漫画が今の私を作っています。
そうそう、こち亀やあぶさんを本棚一列に並べている料理店、他に行ったことないなぁ。
父は元々、洋食出身だったこともあり、大衆食堂とは思えないメニューもたくさんありました。
豚カツにかかっているドミグラスソース(親父曰くデミソース)は、毎日火を入れて何日もかけて仕上げてあったり、ビーフシチューは贔屓抜きにみても1,000円以下で提供しているのはおかしいだろというくらい本格的なものでした。
オムライス、ハンバーグも専門店に全然負けない味でしたね。おかげで舌が肥えてしまって、外食で食べるとがっかりすることも多かったです。
親父が料理を作る姿、親父が作った料理……私にとってあまりにも「いつもの風景」だったため、探してみてもあまり写真がありません。
親父が退院したら快気祝いに、私の友人を招いて食事会でも開いて、調理中の写真を撮って……と思っていたのでそうできなかったことは悔いが残ります。
豚バラのタレ焼き。子どもの頃は苦手だった自家製のカクテルソースがご飯に合いまくり。
鯖のキズシは酸味がほどよく、いつもおいしかった。外で食べると酢が効きすぎてたり、変な甘味があったり、鯖自体がおいしくなかったり……
芋茎の酢の物。大人になってから酸味のあるものが好きになったけど、味噌汁で芋茎を具にしたのを食べさせてもらったときはビックリしたなぁ。
ごま和えや酢の物、大衆食堂らしい副菜は私にとっては家庭の……母の味。
……やっぱり大衆食堂らしくないかな。
お店を片付けに行ったときに、親父が昔買ったというフランス料理の本にメモが挟んであったり、昔のグリル時代のものが挟んでありました。
やっぱり洋食、もっとやりたかったんだろうな。
ご縁があって、私は色々な飲食店の方と知り合うことができました。
親父は不規則な生活や不摂生が祟って、こういう形でお店をしめることになりましたが、この記事を読んでいる飲食店の方々には、体を大切にぜひ長くお店を続けて欲しいです。
改めて、本当にありがとうございました。
コメントを書く