大崎梢「クローバー・レイン」 仕事を通じて伝えたいこと

クローバー・レイン

元書店員の大崎梢さんの作品は、本好きの人にとっては本屋さんや出版関係の事情が伺えて面白い。
「配達あかずきん」から始まる成風堂書店事件メモシリーズで好きになった大崎梢さんの作品で、読んでいないものがあったので図書館で手に取ったのですが、返却日が来たのに読んでなかったので今朝、読み始めたらもうガッツリその世界に捕らわれてしまいました。

どちらかというと小気味よい作品が好きだった大崎梢さんですが、これは一番かも。うん、今年読んだ本の中でも、読後の気持ちよさは一番です。

子どもの頃、小説を書くのは特別な人だと思っていた。
本当に小さい頃は本がどうやって作られているか考えたこともなく、著者の存在に気づいたのは小学校の頃だろうか。(中略)
けれど今はちがう。

大手出版社の千石社で働く彰彦は、期待通りの仕事をそつなくこなす編集者。
ある出版パーティーで最近全く売れていないベテラン作家の家永を自宅まで送ったところ、まだどの出版社とも話を付けていない新作小説に巡り会う。
“行き先の決まっていない原稿があり、予想以上の感動作であり、自分は出版社に勤める編集者だ。”
彰彦は、すぐに本にしたいと望むが、家永の言葉はつれなかった。

「やめてくれ。よかったと言ってもらえるのは嬉しいが、しょせん君とは縁のない原稿だ。きれいさっぱり忘れてくれ。

作家が創造した物語を、本の形に整えて、その本を読む人に届ける文芸編集者、の話。
家永が書いた小説についてはストーリーだけが語られるだけで、物語は彰彦が作家、上司である編集長、営業担当、書店、同業のライバルなど周囲の人々とのやり取りが描かれています。
正直な所、主人公である彰彦が抱える家族のバックボーンと作家・家永が抱える家族のバックボーンがあざといくらいに重なることや、物語の展開が早すぎるかなという荒っぽい実感はあるのですが、ラストのある人物からの届くことを考えていないメッセージにはやられました。危うく涙腺が緩みかけました。

物語に登場する家永が書いた小説「シロツメクサの頃」のように、シンプルに著者が読者に届けたい言葉がある小説だと感じました。
と、読み終えてすぐにこうやってレビューを書いているあたり、何か受け取った印です。